【2月28日(火)】
こんにちは!チームHey!Qです。
平久小3年生の授業の一環として「平和の授業」を東京大空襲戦災センターの語り部、二瓶治代さんをゲストティーチャーとしてお招きするかたちで行いました。
今から約70年以上も前の戦時中、東京大空襲の画期となった1945年3月10日の下町大空襲における体験、記憶、体験者の想いを次の時代に継承するための継承講話をしていただきました。
舞台は平久小のある木場地域からもさほど遠くない、江東区錦糸町~亀戸にかけての京葉道路、明治通り近辺。
二瓶さんは当時、小学2年生くらいでいらしたそうです。
今回受講している児童たちと年齢が近いこともあり、子どもたちは一体どんな気持ちでお話に耳を傾けたのでしょうか。
戦火の最中、防空壕での出来事や家族で逃げまどう道中での様々な衝撃的で凄惨な現場の様子や体験談。
そのどれもがつい先日の事のように鮮明に語られ、また、現場も今と風景は違えど私たちにも土地勘のある地域とあって、自身も体験しているかのような感覚に襲われて、終始息をのむばかりでした。
ついさっきまで一緒に話をしていた友人が、気づくと目の前で亡くなっている。
まだ年端もいかない自分が家族とはぐれ、たった一人、右も左もわからない暗闇の中で取り残される恐怖。
炎にまかれて息絶えていく群衆。
そしてその人々の死体に囲われることで生き残った自身。
子どもたちはどこまで想像できたでしょうか。
この子供時代の二瓶さんがもし自分だったら……??
後日の子どもたちからの感想を読むと、二瓶さんのお話の中でも特に下記が子どもたちに強く印象が残ったようです。
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①馬の話
(逃げる道中、目の前で飼い主と共に炎に包まれ焼け死んでいった馬のエピソード)
②妹と火傷
(遥々遠方から火傷の診察に訪れた診療所でのエピソード)
③人の燃えている色
④焼夷弾の怖さ
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確かに、どのエピソードをとっても強烈で、忘れようにも忘れることのできないのはわかる気がしました。
ふだんは飽きてきてしまうとだらけ出してしまう子どももいるのですが、今回の講話中はみんな真剣にお話に聴き入っていて、身動きがほぼなかったことがそれを物語っています。
画用紙の右下に描かれている若草色の頭巾をかぶった子どもが二瓶さんご自身だそうです。
防空壕はそんな広々したものではなく、数人が身をひそめるのにやっとの大きさ。
二瓶さん家族は別の場所にいたお父さんの呼びかけに応じて防空壕を出て助かりましたが、防空壕内にとどまった近所隣人らは壕ごと炎にまかれ、内部で焼け死んでしまったそうです。
二瓶さんが持参くださった焼夷弾の空筒を実際に見て触らせていただく子どもたち。
今では考えられない、想像できないような厳しい状況を実際に生き抜いてこられた現70代以上の方々から直接にお話を聞けるのはもう今の世代の子どもたちが最後かもしれません。
後日、子どもたちが講話の感想を書いて二瓶さんへお贈りしました。
どの感想も、戦時中の衝撃的なエピソードと併せて自分たちが感じたことを素直に、丁寧に書き込んでいるのが印象的でした。
戦争の悲劇は戦時中だけでなく、戦後もずっと残り続けること。
このような悲劇を繰り返さないためにも、今回のような継承講話を次世代まで繋げていく大切さ。
子どもたちにそれはしっかり伝わっているようです。
他にも、家がなくなったり家族や友人が亡くなることの悲しさであったり、今自分たちが住んでいるこの地域が戦時中はどれだけ被害が大きかったかを知ってびっくりしたであったり、3月10日のことを忘れない。戦争のことについて、もっとしっかり調べてみたい。
そんな感想が多々みられました。
平和の授業、今回は3年生の授業一環として実施されましたが、すべての学年の子どもたちにも何度でも語り継いでいくべきお話だなと感じました。
今の、この日本という国で平和に穏やかに生活を出来ていることは本当に幸せなことであると身に染みたひと時でした。
二瓶さん、貴重で大切なお話を本当にありがとうございました!!